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# 三回忌
今日は母の三回忌でした。
そして航大の一ヶ月検診の日でもありました。
母が亡くなった病院で航大を産んだのですが、命日に病院での検診予約が偶然入っていたのです。

お母さんが呼んだのかな(^^)

いつでもそばにいてくれると思っていますが、特別な場所の巡り合わせを思うと、うれしい気持ちになります。

私を取り巻く環境は3年前とは大きく変わり、まるで何もなかったように毎日を過ごしています。でも、本当にそれでいいのかなって迷うことがあります。
母を失った悲しみを受け入れて、前に進むことに罪悪感を感じることが時々あるのです。もちろん、お母さんは私たちが前進することを望んでいると思うのだけど…

バタバタして3回忌らしいことをしてあげられなかったので、夜は母との思い出の写真やビデオを見て過ごそうと思います(^^)

そして、
お母さんいつも見守ってくれてありがとう!これからもよろしくね!
| comments(7) | trackbacks(0) | 18:32 | category: 家族 |
# 皆さん、お久しぶりです
 
娘の美咲です。長らく更新できず、ごめんなさい。
気づいたらもう年が明けてしまいました。
母が去って半年が経とうとしています。
あっというまだなー・・(;;)

私といえば、復帰した仕事にもなれて毎日忙しく働いています。
私の働いている部署は救急センターなのですが、母の様に自宅でがんの療養をしていて、
急に体調が悪くなってやってくる患者さんがいます。
「仕事は仕事!」と割り切って、お世話させていただくのですが、
ふいに涙がぽろぽろ(;;)
まだまだ立ち直れていない自分がいます。

その一方で、母が亡くなるまで握り続けていた手のぬくもりを、
だんだん、はっきりと思い出せなくなっている自分もいます。
「忘れたくないよー!」と思うのですが、人間の記憶って、本当に儚いものだなぁと思います。

皆さんはどう過ごされていますか?

そうそう!
ラジオ日経で、母のドラマが2010年11月23日に放送されました。
なんと!そのドラマが芸術祭優秀賞を受賞されたそうです!
ドラマにかかわってくださった皆さん、おめでとうございます!
そして、ラジオを聴いて下さった皆さん、ありがとうございました。

ラジオ日経の方にラジオのCD-Rを送っていただいたのですが、
私はなかなか聴くことが出来ませんでした。
実は今も最後まで聴けなくて、
母が病室で月を見上げているシーンで止めています。
でも、本当にいいドラマにして下さっているので、
いつか、全部聴ける時が来るといいな、と思います。

2011年2月11日午前10時から再放送して下さるそうなので、
お暇な方は是非聴いてみてくださいね♪

それから、母のドラマのことが2月9日の朝日新聞の朝刊に載るそうです。
写真も載るようなので、朝日新聞の方はチェックしてみてくださいね。

亡くなった後もドラマになったり、新聞に載ったり、
母のパワーは本当にすごいな!と感心します。
私もそのパワーを受け継いで、がんばらなきゃね^^

泣いたり、笑ったりしてる私を見て、
そばにいる母が「ぷぷぷ♪」と笑っているといいなぁと思います。

では、また更新します。



結婚式




| comments(8) | trackbacks(0) | 11:23 | category: 家族 |
# 魔法の鏡

 先週の金曜日(2010年7月30日)、愛知に住んでいる両親が横浜に来訪。
突然どうしたのかな?と思ったのだけれど、「ちょっと顔を見に来た」とのことで、私のことを心配して会いに来てくれたようだった。

両親は、最近の私の様子をなぜだがよく知っている様子。劇団四季のミュージカルに行って渡哲也さんに握手してもらったことやら、モルヒネ使用のこととか、話してないのに知っている。
ユーミンのすごーく昔の歌に「もし魔法の鏡があったら、あなたの暮らし映してみたい」というのがあって、中学生の頃の私のお気に入りだったのだけれど、まるでそんな魔法の鏡を持っているかのように、私の暮らしぶりを知っている。
しばらく不思議に思っていたのだけれど、何のことはない、両親も今は私のこのブログを見ていたのだった。

別に積極的に秘密にしていたわけではないのだけれど、なんとなくこうしたブログを綴っていることを娘や両親、妹などには言いにくくて、ずっと話していなかった。時々だけれど、やっぱり家族のことを書くことがあったし、そこに書いてあることはまさに私の正直な思いであったから、ちょっと照れくさくてなかなか言う機会がなかった。いつかは話さなくちゃと思ってはいたのだけれど、よいきっかけが見つからなかった。
だがブログ本のことを新聞記事にしてもらい、それが自然に両親の目に触れて上手に伝わって、今は時々読んでくれている様子。
ブログにはよいことばかりではなく、体調が悪いことや病気が進んでいることも書いたりするから、かえって心配をかける「両刃の剣」になる可能性もあるけれど、やっぱり何でも知っておいてもらった方がよいと思うので、こうなったことはよかったことだと思っている。

本や新聞記事・ラジオ出演などで私が末期がんであることを知る人が増えて、両親がいろいろ質問されたりして何かいやな思いをすることがあるのではないかという不安があったのだが(本に関わってくれた友人たちもそのことをとても心配してくれていた)、そういうことも全くないとのこと。
私が暖かい人たちに囲まれ支えられているように、両親の周りの人たちも暖かく両親を支えてくださっているのだろう。
皆さんありがとうございます。
なにぶん年寄りなもんですから!(77歳と75歳)  これからもよろしくお願いいたします。

「親よりも先に介護度ついちゃった」 望(要介護1)






 

| comments(2) | trackbacks(0) | 23:02 | category: 家族 |
# 仕込み
 昨日(2010年5月10日)は、比較的体調がよかったので、娘の誕生日祝いを買いに横浜駅まで外出した。
娘は3月生まれなのだけれど、ちょうどその頃私は過密スケジュールで旅行等をしており、帰ってからお祝いしようと考えていたのに、旅行後はその過密スケジュールの当然の結果として?体調を崩して入院してしまったので、ついに5月になってしまったのだ。

横浜に「スタージュエリー」というアクセサリーのお店があるのだが、そこに行ってみたいとのことで、高島屋の中にあるスタージュエリーの売り場に行く。
とても小さいのだけれど、リボン型の真ん中に誕生石の入っているネックレスが気に入ったようで、それを購入することに。
ところが娘の誕生石は「アクアマリン」なのに、水色のその石はあまり好きじゃない、4月生まれの人用のダイアモンドのがいいと無茶を言う。そんなのいいのかな?と思ったけれど、お店の人的には別に問題ないらしく(そりゃそうか)、結局4月生まれさん用のを包んでもらった。
ちなみに私(10月生まれ)の誕生石は何かな?と見てみると、「ピンクトルマリン」となっていた。
あれ〜、昭和時代には確か「オパール」って言われてたような気がしたのに・・・誕生石まで時代で変わっていくんだね、とちょっとびっくり。

毎度毎度同じ会話で恐縮だが、「来年はもうこうやって誕生日プレゼントを贈ることできなくなるね」と私がしみじみしていると、「何なら10年分くらい仕込んでおいてくれても構わないけど」とのこと!
ははは、それもいいかも。10個くらい包みを用意しておいて、一年に一個ずつ開けていくっていうのも楽しいかも。
「10年前ってこんなの流行ってたんだねえ、ぷぷぷ」とちょっとしたタイムカプセルみたいに楽しめるかもしれないし。
できるだけ笑えるプレゼントがいいね。
実は今何が流行しているのか全くわからないんだけれど(笑)、ちょっとアンテナ立ててできるだけあとあと笑えるようなものを探して仕込んでおきたいと思う。

「お母さんて馬鹿だったねえと言われたい」 望

*今日はこれから抗がん剤治療に行きます。
副作用で、またしばらくパソコンができないかも知れないけれどよろしくお願いします。
皆さん、いつもご心配ありがとうございます。




| comments(6) | trackbacks(0) | 08:59 | category: 家族 |
# 白いカーネーション
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母の日ということで、娘がカーネーションをプレゼントしてくれた。
「来年からは<白いカーネーション>だよ」というとポカーンとしている。(存命のお母さんには赤いカーネション、天国のお母さんには白いカーネーションを贈るのが決まりらしい。皆さんご存知でしたか?)
娘はそれを聞くのは初めてだとか。私の眠る海に(海洋散骨の予定)カーネーションを投げに来てくれるらしいが、「白なんてあんまり好きじゃないなあ」とぶつぶつ言っている。
何色のカーネーションが届くか楽しみにしてるよ♪最近は虹色っていうのもあるらしいよ♪(ちょっと高い)

「いつもありがとう」というカードをつけてくれているけれど、今の私はもう娘に迷惑をかけているだけの存在。それなのに素敵なお花をプレゼントしてくれて・・・(涙)
やっぱ5月も生きていられて、よかったです。


| comments(3) | trackbacks(0) | 09:30 | category: 家族 |
# 介護休暇
 5月(2010年)になった。
今月から娘(看護師)が「介護休暇」を取って、仕事を休んでくれることになった。

介護休暇を取るためには、病人(私)の診断書が必要で、しかもそこに「常時介護が必要」という記述がないと認められないのだとか。
最初娘から「介護休暇取ったら?」と娘の上司である看護師長さんが言ってくださっているという話を聞いた時には、実は私は即座に否定的な反応をしてしまった。
自分のために、家族に仕事を休んでもらうなんて!
しかも「常時介護が必要」だなんて、私はまだそんなレベルではないんだから、主治医の先生がそんな風に書いてくださるとは思えないし!(と本人は思っていた)
しかし、何度か娘と話し合ううちに、彼女が私の死後、仕事が忙しかったためにゆっくりした時間をもてなかったり、きちんとしたケアができなかったりしたことを後悔したくない・・・と強く思ってくれていることがわかり、私としてもその気持ちをありがたく受けようかなという気になってきた。
懸案の?診断書問題も先生からあっさりと「あ、そういう風に書けますよ」とお返事いただき、(実はかなりショックであった。私ってもうそんな状態だったんだね)、まあとにかく、無事介護休暇が認められることになった。

5月1日は通院があったので、早速付き添ってもらった。もちろん今まで通り一人でも行けるのだけれど、一緒に先生の話を聞いてもらったり荷物を持ってもらうこともできて、なんとなく安心な感じ。
忙しく日進月歩の職場(総合病院の救急)にいただけに、仕事を離れてしまうことは娘にとってマイナスな面が大きいこともわかっているけれど、休んでくれると決まった以上は、思い出に残る悔いのない時間を持てるように過ごしていきたい。

ご迷惑をかけている職場の皆さん、本当にありがとうございます。
私が死んだ後は、遠慮なくビシバシとこき使ってやってくださいね♪ 

「幸せをもらう 命と引き換えに」 望






| comments(3) | trackbacks(0) | 07:25 | category: 家族 |
# 22歳
 火曜日(2010年2月23日)に抗がん剤治療を受けてから、どうにもこうにもさえない体調の日々が続いている。
シンガポールフライヤーまで歩いていっちゃった元気な私は、本当に「私」だったのだろうか(笑)
今回は高熱は出なかったものの、なんとも気持ち悪く、食欲もなく、倦怠感に悩まされている。
区役所に行く用事があったり、サポートグループに参加したり、とぽつぽつ外出はできているのだが、どうも調子が出ない感じ。
明日から、新しい週、そして3月・・・気持ちで負けてしまうことのないよう、新たな心で日々を過ごしていきたいのだが、明日の朝はどんな目覚めになることだろう。
正直、神のみぞ知るって感じ。

体調がいまいちなので、家事がどうしても滞りがち。
自分が動けないので、娘に「あれしといて、これしといて」と結構口うるさくなっていたのだろう、ついに「もう、あれしてこれしてって言わないで!」と怒られてしまった。
しょぼーん・・・でも、私にも言い分がある。
「じゃあ、私が<あれしてこれして>って言う前に自主的に気付いてやってよ! もう22歳なんだからさ(娘は来月誕生日が来て22歳になる)」

もうすぐ22歳で、結婚していて(諸般の事情によりだんなさんと同居はしていないが)、社会人で・・・もうどこからどう見ても立派な大人である娘。
母親に「今日はプラごみ出しといて」「ストッキングはネットに入れてから洗濯機に入れて(これをすぐ忘れる)」等と言われている自分を自ら恥じて欲しいのだが・・・
しかもそういう細かいことに心を砕いている母親は、もはや死にかけており(!)、抗がん剤治療で息も絶え絶えなのである。
私としては、もうちょっとしっかりしてよ〜という気持ちでいっぱいである。

しかし、どんなに母親が弱っても、生きて家にいる限り「家事はやっぱり母親が仕切っているもの」と思ってしまうのが子どもというものなのだろう。
実は私の中にもそういう気持ちがある。
実家に帰ると75歳の母はとても小さく耳も遠くなっていて、昔の母親とは全然違うのに、やっぱり母親として主婦として頼ってしまう私がいる。
言われれば手伝うけれど、自主的に仕切ろうとは決してしないあくまでも「子ども」の私に戻ってしまう。
そしてそれは、母には申し訳ないけれどほんのちょっとだけ心地よい甘い感覚。
年をとっても小さくなっても、母が生きて家にいてくれるからこそ味わえる感覚なのだ。

思えば私は22歳で結婚し、23歳で娘を産んだ。
今22歳になろうとしている娘を見ていると、こんな若さでよく子どもを産んだり育てたりしていたものだと、自分でもびっくりするくらいである。
幼く下手くそな子育てだったけれど、娘はなんとか大人に成長し、私にとって転機であった22歳を迎えようとしている。
そして彼女は私と違い、おそらく22歳で母親を失うことになる。
子どもでいられる甘い感覚を味わえるのも本当にあと少しだ。申し訳ないが、その後は母親のいない人生を歩んでもらうしかない。
・・・と深く同情しながらも、やっぱりごみくらい言われなくても出してよね!と思っている私はいるのだけれど(笑)

| comments(4) | trackbacks(0) | 19:50 | category: 家族 |
# ふつうの暮らし

 2009年の大晦日から昨日(2010年1月7日)まで帰省をして、戻ってきました。
帰省中、私にシールをくださった皆さん(暖かい思い出ができると、心のシール帳にシールがたまると勝手に決めている)、本当にありがとうございました。
黒豆の形のシールや、バイキング(食べ放題)の形(どんな形だ!?)のシール、本やロールケーキや十字架の形のシール、そして味噌煮込みうどんや(私の郷里がどこなのかモロバレですね)、電話の形のシール・・・またまたシール帳はいっぱいになりました。
あくまでもずうずうしい私、まだまだシールのプレゼント、ガンガン受付中ですのでよろしくお願いします。

私の実家は、今は両親(父77歳と母75歳)と猫2匹の暮らしである。
両親二人とも年齢なりに病気をしたり怪我をしたりしつつも、何とかふつうに暮らせている様子。
それでも久しぶりに会うと、年とったなあ〜と思うことがしばしばである。
父はまだまだ毎日車を運転していて、運転技術はまだまだ大丈夫のようであるが、いったん道に迷ってしまうと大パニック。カーナビはついているのだが、そのナビゲーションに従って走るのが難しいようなのだ。「あと○○メートル先、左方向です〜」とカーナビのお姉さんは優しく教えてくれるが、どうもその感覚がよくわかんないみたい。
それに、何かを話そうとしても言葉がスッと出てこないことが多くなった。元々小学校の校長で、「お話」するのは大好きなタイプ(朝礼では生徒さんがさぞかしうんざりしていたのでは)
なので、そういうことがあるたびに本人は余計ショックを受けているようである。

母は、とにかく耳が遠くなった。
そして耳が遠いのはもちろん不便なことだけれど、それ以上の問題は、聞こえていないのに適当に返事をしてしまうこと。
母は若い頃から、やや思い込みが激しく、それに負けず嫌いで、人に何かを任せたり弱いところを見せたりするのは苦手なタイプだった。
聞こえていなくても、聞き返したり、「自分はよく聞こえないので、家族の者に言ってください」と言ったりできる性格ではなく、一家の主婦として今でも自分が率先して何でも交渉したいたちなので、しばしばトラブルが起こっているようだ。

そんな風に少しずつ年老いてきている両親のふつうの暮らしは、まさに綱渡り。
本当ならそろそろ私が助けていかなければならない時期に来ているのに、私ときたら、もっと危なっかしい綱渡りをしながら、なんとか一日一日を暮らしているありさま。
みんなが綱渡りで暮らしているのだ。全員シルク・ド・ソレイユ状態だ。
はああああ。なんか先のことを考えると暗くなっちゃう。
誰かがちょっとでもバランスを崩したら、奈落の底に転落って感じ。

それでも、猫と遊んだり、花を育てたり、近所に新しいお店ができたと言ってちょっと覗いてみたり・・・年齢なりに、危ういなりに、一日一日のふつうの暮らしを楽しんでいる両親を観察?していると、私も学ぶところが多くあった。
人生ってもしかしてこれでいいのかも知れないな・・・と。
判で押したような毎日、という言葉があり、私も若い頃はそんな両親の毎日を「なんかつまんなそう」と思ったりしていたのに、今は、毎日同じ形のはんこを押し続けられるってすごいじゃん!と心から思える。
だって月日が経てば、はんこの縁が欠けたり、形が曲がったりしちゃうんだもん。
多少すりへってきても、一日一日判を押していく。なんとかかんとかふつうの暮らしを続けていく。
誰かに「つまんない人生」と言われても、私はそれでいいと思う。そういうことに人生の価値を見出す種類の人間もいるんだと、自分がふつうの暮らしを失いかけて、初めて気付いた。

両親が一日でも長く判を押し続けられますように。そしていつか二人だけではそれが難しくなった時、適切な助けがどこからか受けられますように。
また、私自身も一日でも長くふつうの暮らしが続けられますように。
新年の抱負というにはあまりにも平凡で地味だけれど、今の私にはそれが一番の夢であり願いである。
そしてふつうの暮らしの中に、時々きらっと輝くスペシャルな一瞬があったらもっと素敵かも。
旅行だったり、人との出会いだったり・・・、おいしいものを味わったり、お洒落したりするのもよいかも知れないな(現在「石田ゆり子」になれるかつらをネット探索中)
どんな「スペシャル」を自分に用意できるか、わくわくしながら考えている。

「ガンだけど 計画立てるのは自由」 望








| comments(6) | trackbacks(0) | 09:00 | category: 家族 |
# おバカなひととき

 おととい(2009年11月16日)、新しい抗がん剤の「カンプト+シスプラチン」の点滴を受けてきた。
ついこの間知ったのだが、シスプラチンの「プラ」ってプラチナのことらしい。
既に壊れかけている私ごときの身体にプラチナを使っていただくなんてもったいないやら、ありがたいやら・・・ただプラチナ様は金属なので、腎臓にたまらないよう、シスプラチンを点滴したあと「流し」という補液の点滴をして、排出を促すのだ。
ああ、せっかくのプラチナが・・・!(笑)
その「流し」も合わせて5時間かかった。
寝たり、本を読んだり、いろいろしていたが結構長かったかも。次回からは、娘に奪われているニンテンドーDSをなんとしてでも取り返し持参することを決意する。

その日は疲労感があり食欲もなかったが、そんなにつらいという気はしなかった。
ところが翌朝目覚めてみると、手足が鉛をつけられたように重く、胃も気持ち悪く、全く起き上がることができない。
なんとか体温計を取り出し計ってみると38.2℃もある。
うへー、来た来た副作用。
プラチナを流すため、何とか飲めそうな時にはポカリを少しずつでも飲んで、あとウイダーインゼリーの買い置きがあったので時々吸って、でもそれが精一杯。
しかもかなり顔がむくんでおり、「モンスターズインクに出てくるオレンジ色のモンスターにそっくり」になっているらしい。(自分がその映画を見ていないことがせめてもの幸せ)

そんな私の様子を見て娘はちょっと焦ったのだろう。
血圧を測ってくれたり、湯たんぽを入れてくれたり、飲水をさぼらないようポカリのボトルに目盛りを付けてくれたりして、あれ、なんだか本物の看護師さんみたい♪
脈も取ってくれたので、私が「チャングムみたいに、少し沈んだような脈が波のように打ち寄せ、時折滞っております。腎のご病気かと思われます・・・とか言ってよ」とふざけると、「バカじゃないの!」とあきれながらも一緒にふざけてくれる。

副作用がわりに強く出る今回の抗がん剤を、入院せずいきなり外来で始めたことを不安に思う気持ちがなかった訳ではない。
もし私が「不安なので入院させてほしい」と申し出れば、先生はきっと入院させてくださったと思う。
しかし、もう私にとっては娘とこうしておバカなひとときを持てる時間はそんなにないのだ。
家にいるからこそ、周りを気にせずふざけたり笑ったりできる。
娘も自分にできることはしようとしてくれる。
私も心配かけないよう、元気にならなくちゃと気持ちを保つことが出来る。
先生が「外来で」と言ってくださったのは、たぶんそれがわかっていたからなのだろう。
私もその気持ちに応えたい。

もっともっと、くだらない会話をしなくっちゃ!
「ほんと最期までくだらないことばっかり言ってたよね〜」とあきれられるのが、私の夢♪

| comments(2) | trackbacks(0) | 11:48 | category: 家族 |
# 人生最悪の日

 昨日(2009年11月10日)、病院に行き先日撮ったCTの結果を聞いてきました。
ついに肝臓に転移してました・・・お月様のようにまん丸に(!)
腫瘍マーカーも4桁に上昇しており(普通は35以下)、このままでは半年どころかあっという間に死んでしまうとのことで、早速来週の月曜日(16日)から最後の抗がん剤、カンプト+シスプラチンをやっていただくことになりました。
多少の体調の悪さはあっても、まあまあ普通に暮らせているのだけれど・・・自分の身体ながら、こんなに悪くなっているなんて信じられない思いでいっぱいです。
皆さん、ご心配いただきありがとうございます。

病院から帰宅し、ある程度予想はしていたものの「転移」という事実を受けとめられぬまま、ぼんやりしたり、ちょっと泣いてみたり、「チャングム」の続きを見たりしていたのだが(残り時間が少ないのでこんな時でもチャングムは見るのだ)、待てど暮らせど娘(日勤)が帰ってこない。
日勤の時は遅くても8時くらいには帰ってくるのだが・・・前夜からCTのことで私が暗かったので、もしかしたら家に足が向かないのかなと思い、電話をかけたりメールをしたりしたのだが何の返信もない。
転移はしてるし、娘は帰ってこないし、何だか真っ暗な気分である。

10時頃になり、昨今は物騒な事件も多いゆえかなり心配になってきたところに、やっと電話があった。
「お母さん、私病院で事故を起こしちゃってね・・・今報告書書いたりしてるから当分帰れない」と涙声。
えええ、事故!? 
詳しく話している余裕はないようなので、とりあえず電話を切ったが、事故を起こしちゃったとは!?
まさか患者さんが亡くなるような大事故では!?
驚きのあまり、自分の癌転移のことなどぶっ飛んでしまった。

その後0時近くなって娘が帰宅。
事故という事実に軽重はないと思うし、患者さんを傷つけご迷惑をかけたことに違いはないものの、不幸中の幸いで命にかかわるようなことではなかったと言う。
患者さんが生きてさえおられるなら、この先いくらでも償えるチャンスはあるし、その分しっかりお世話をさせていただいたらいいんじゃない?、少し仕事に慣れてきて慢心もあったかも知れないし、ここでがっつり気を引き締めればいいんじゃない?と話すも、すっかり落ち込んでしまって泥沼の様子。
「お母さんの転移は見つかるし、私は事故を起こすし、今日は人生最悪の日だ・・・」とずっと泣いている。

うーん、私はそうじゃないと思うよ。
「人生最悪の日」って、たぶんこんな程度のことじゃないと思うよ。
45年の私の人生の中で、もっと悪い日はいくらでもあったし、たぶん人生最悪の日はこれから訪れるんだよ。
M(娘)なんて21年しか生きてないんだから、これからいくらでももっと悪い日があると思うよ。
生きている限り、必ず何かが起こる。
街行く人々やテレビの中の人々を見ていると、自分以外の人は皆健康で幸せそうで、自分だけが不幸に思えてしまうことがある。今の私には特にそうだ。
でも、きっとそうじゃない、みんな多かれ少なかれ、生きていれば必ず何か悩みはあるものだ。
仮に、今まで何も不幸なことがなかった人がいたとしても、人は誰でも必ずいつかは死ぬのだから、その時やっぱり苦しみが訪れるだろう。

だから、何かが起こるのを恐れるのではなく、何かが起こったときどう対処できるかが大切なんだと思う。
何か不幸が訪れた時、挫折した時、どう対処するか?
自分らしく、自分が今まで積み重ねてきた経験を生かして対処できるか?
そこでその人間の真価が問われるんだと思う。

・・・とずいぶん偉そうに書きましたが、この文章は自分のために書きました。
この先おそらく毎日のように「人生最悪の日」が訪れるであろう自分のために。
どう対処できるか・・・皆さんちゃんと見ててくださいね。
見たくないと言っても、逃さないよ♪

「<最良の日>も ときどきは 来て欲しい」 望





| comments(6) | trackbacks(0) | 07:31 | category: 家族 |
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